「上級」日本語教育プログラムの持続可能性:オーストラリア・ニュージーランド・シンガポールからの示唆 | Melbourne Asia Review
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翻訳:イマニュエル・チョウ(Emmanuel Cho)、ルーチン・リュウ(Ruqing Liu)、シャオウェン・ウァン(Xiaowen Wang)、ジミン・イ(Jimin Lee)、マイケル・ストーコル(Michael Stokol)、陳一維(Yiwei Chen)
監訳:飯塚 俊太郎 (Shuntaro Iizuka)

 日本との経済的、戦略的、文化的なつながりはかつてないほど強くなった。初等教育から高等教育まで、より多くの学生が日本語学習に興味を持つようになっている。しかし、「鬼滅の刃」や「ポケモン」以外に学習者たちを動機付けるものはあるだろうか。そして、大学が魅力的かつ効果的な語学プログラムを構築するためにはどうすればいいだろうか。

 世界中の高等教育機関で教えられているアジア言語の中で、日本語は最も人気のある言語のひとつである。「海外日本語教育調査報告書2018」(国際交流基金、2020年)によると、日本国外の日本語学習者数は過去2番目に多い3,851,774人に達した。そして、教育機関数および教師数は1979年の調査以来最高となった。新型コロナウイルスの感染拡大の中にあっても、日本語科目の履修者数は2021年にも比較的堅調に推移している。オセアニア(オーストラリアとニュージーランド)は、世界で人口10万人あたりの学習者数が最も多い地域である。

 しかし、我々筆者達は、特に自らが教鞭を執っているオーストラリア・ニュージーランド・シンガポールの三ヵ国において、上級の日本語プログラムの持続可能性に一層の懸念を抱いている。

 政府の言語教育政策や各教育機関における言語教育の方針や、高等教育セクターにおける言語教育への投資の減少などの影響により、多くの日本研究・言語プログラムに無理が生じている。上級の科目は初級・中級の科目よりも履修者数が少なく、クラスが統合されたり、予算が減らされたり、クラス自体が閉鎖されたりするリスクが最も高い。米国外務省(FSI)によると、日本語は「超難しい言語」の一つとして認識されており、英語を母国語とする人は「ビジネスレベル」の日本語力を身につけるために、フランス語やイタリア語の三倍の時間が必要だとされている。つまり、上級レベルに達するまでの学生の長期的なコミットメントと十分な支援のある質の高い教育がなければ、上級日本語教育プログラムの持続可能性は低い。さもなくば、それらの国で上級レベルまで日本語を習得できる者は少なくなるだろう。

 これを踏まえた上で、我々は最近、国際交流基金さくらミニ助成金2020の支援を受けて、上級日本語教育ネットワークプロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトは、オーストラリア・ニュージーランド・シンガポールの大学レベルでの上級日本語プログラムの現状をよりよく理解するためのものである。調査とインタビューを通じてデータを収集するためのプラットフォームを提供し、コミュニティとセクター全体の継続的なサポートを提唱することを目的とする。このコラボレーションに関わっている国は、いずれもコモンウェルス(英連邦)のメンバーの国だ。つまり、大学教育で使用される言語がいずれも英語であることだけでなく、大学のプログラムの構造も類似している。

 2020年に上級日本語ネットワークプロジェクトはオーストラリア・ニュージーランド・シンガポールにある大学の日本語教師達に連絡し、全25校(オーストラリア19校、ニュージーランド4校、シンガポール2校)の日本語学習プログラムを対象にデータ収集を実施した。サーベイの参加者数は計76名であった。そのうち38名の教師(オーストラリア34人、ニュージーランド2人、シンガポール2人)がオンラインインタビューに参加してくれた。インタビューは2020年12月から2021年1月にかけて実施された。

我々の調査の結果では、「上級」レベルは概して以下の三点より定義された:

  • 教育機関における学習進度
  • 日本語能力試験(JLPT)やヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)などの外部基準で示される習熟レベル
  • 学習活動や教材(教科書での進度など)を通じて示される特定の技能

 この調査から浮かんだのは、教育機関の間でも、「上級レベル」と分類されるものには大きな差があることだ。ヨーロッパ言語との単純な比較に見えるかもしれないが、こうした定義は日本語の教育機関における補助に重大な影響を及ぼす。

 教育機関として、我々教師が中級レベルと定義したまでものしか支援しないのであれば、上級日本語能力を持つ卒業生を輩出することが困難になるだろう。また、同じような内容や教材(例えば同一の教科書など)を使った科目であっても、それらを「中級」と認定する大学もいれば、「上級」と認定する大学もあることがわかった。通常であれば、三年間の学位プログラムを通じて、学生たちは言語初心者から上級レベルまでに到達できると想定されている。しかし、日本語に関しては、事実上、この「上級」科目は、言語習得課程の「中級」レベル相当であると多くの大学日本語教師が考えている。調査対象とした大学にいる大半の学生達は、通常の学期で週に3〜4時間(多くても5〜6時間)の授業を受ける。年に平均約100時間の授業時間数となり、大学プログラムの三年間で合計約300時間となる。前述のFSIの推定では「ビジネスレベル」の日本語力を身につけるためには2,200時間(フランス語とスペイン語は600〜700時間、ドイツ語は900時間)が必要とされているから、これと比較すると、授業時間数が不十分であることは明白である。注目すべき点は、「授業時間」は教室以外で言語学習活動が行われないと仮定した上で測定されているということだ。しかし、実際には、オーストラリアやニュージーランドやシンガポールでは、学生達は授業以外でも言語学習に携わっており、この点は考慮されるべきである。例えば、普通の授業を補完する一環としてオンラインタスクがあったり、日本のドラマを見たり、国内での課外学習に参加したりすることである。

 また、我々のプロジェクトでは、アジア言語がヨーロッパ言語の教育体系に準じて教えられる傾向があることが明らかとなった。例えば、大学では、各言語をレベル1から6に分け、その中のレベル5と6を「上級」と定義することが一般的だ。しかし、これは、各言語において学生たちの上達する速度が異なるという事実を無視している。公式には同じく「上級」とされていても、日本語プログラムで到達する習熟度は、ヨーロッパ系言語プログラムの履修者に比べて、低い可能性が大きい。プロジェクト対象の三ヵ国(オーストラリア・ニュージーランド・シンガポール)は、どれも英語圏の国であると同時に、イギリスの言語教育伝統に大きく影響されている国である。このことがヨーロッパ言語(ラテンアルファベットを元にした書記体系を共有しているため)が教育体系上、優位に扱われている理由かもしれない。

 1990年代末から、オーストラリア・ニュージーランド両政府は、日本語を含むアジア言語の教育を熱心に宣伝し続けてきた。それと同時に、多文化主義も社会的見解として推奨され続けてきた。オーストラリアでは、「オーストラリアの学校におけるアジア言語学習国家戦略」(NALSAS, 1995-2002)や、アジアの世紀におけるオーストラリア」白書(2012)におけるアジア言語学習の推奨など、複数の戦略的計画が立てられている。また、ニュージーランド政府が2014年に立てた「学校におけるアジア言語学習(ALLiS)プログラムでは、新たなアジア言語プログラムの設立、あるいは既存のプログラムの強化を目指して、5年間で総計一千万ドルを投入することが示された。シンガポールの教育省は、産業界の要望に応えるため、1978年に外国語センターを設立し、中学生・高校生を対象に、フランス語、ドイツ語、そして日本語の授業を提供し始めた(このセンターは、後に、教育省言語センターと改名・拡大され、様々な年齢層に幅広く授業を提供するようになった)。そして、1980年代には、シンガポールの様々な大学や専門学校に日本語プログラムが設立された。

 ヨーロッパ、あるいは英語中心主義から考え方を変えることで、アジア言語への理解はもっと支援され、さらに発展することだろう。最近(2021年5月30日)では、オーストラリアのニューサウスウェールズ州における学校の言語プログラムやアセスメントの現状についての報告書は、フランス語などのヨーロッパ言語が日本語やアラビア語より優遇されていると、その偏りを指摘している。さらに、現代のグローバル社会における英語の優位性は、英語以外の言語学習に対して関心を持たない、という社会的風潮を導いている。学者シャノン・メースンとジョン・ハイェクが述べるように、言語は「国における一般的な多言語主義、社会的調和、及び経済的繁栄」を促進すると認識されている。だが、メディアにおける言語教育に対する描写は、表面的な部分に留まり、狭窄的かつネガティブに描かれており、すでに危うい立ち位置にあるオーストラリアでの言語教育をさらに悪化させてしまっていると言えよう。

上級日本語の持続可能性に対する障壁

 持続可能性に重要な要素の一つが、各教育セクター間を通じた継続性である。皆が大学で一から日本語の勉強をはじめるわけではない。すでに学校で日本語を学んだことがある学生や、以前日本語学習の経験がある学生は、大学入学と同時に2・3年生配当の日本語科目を履修する。そうすると大学での3年間(シンガポールでは通常4年間)の学習が終了する頃には、より高いレベルに到達できるはずだろう。インタビュー参加者の多くは、言語能力を維持・強化するためには、日本語教育に対するセクター間の区切りを超えた長期投資が必要だと指摘していた。それには、日本国内での短期あるいは長期の交換留学なども含まれる。

しかし、この重要な継続性を育む上で、大きな障壁が2つある。まず、大学の学位プログラムにおける制約がますます強まっているため、学生が選択科目であっても語学科目を追加する余地がほとんどない、という構造的な問題だ。それに加え、オーストラリアでは学費が高額化しているという問題が伴う。これは、人文・社会科学系で特に見られる問題である。そして、語学は学費が最も安いカテゴリーにあり、就職に有利な能力として認識されているにも関わらず、学生は語学から遠ざかり、自分の専攻分野に集中しようとしているのが現状である。語学の勉強には、定期的で長期的な学習が不可欠だが、大学の学位の体系上、何学期も言語科目を履修することは難しい。これは、言語教育に悪影響を及ぼしている。調査対象の教育機関においては、日本語プログラムの多くは「選択科目」として提供されている。そのため、日本語プログラムが高校までに日本語を勉強してきた学生たちにいくら魅力的な科目を提供したとしても、上級レベルに達することができるとは限らない。

 もう一つの障壁は中等教育セクターにおける語学の位置付けである。オーストラリア教育課程・評価・報告機関によると、オーストラリアでは、2019年に十二年生(オーストラリア中等教育最終学年)のうち、10.3%しか言語を学んでいなかった。この報告書では、語学は中等教育で最も人気が低い学習分野であることが示された。また、国際交流基金の報告書によると、オーストラリアでは日本語が中国語やSTEM(科学、技術、工学、数学)の科目に置き換えられたことなどにより、中等教育セクターでの日本語学習者や日本語を教える教育機関の数が減少している。一方、ニュージーランドでは、中国語が中等教育課程でそこまで力を持っていないことや、STEMの科目が「難しい」という認識が強く、生徒たちが人文系科目から遠ざかっていないなどが原因で、この傾向はあまり顕著ではない。しかし、2020年の13年生(ニュージーランド中等教育最終学年)で日本語を学んだ生徒はわずか720人で、2010年より18.8%も減少している。これら両国に対して、シンガポールでは、日本語科目は、主に中国語を母語とする生徒や小学校で中国語を学んだりした成績優秀者に提供されているなど、そのバイリンガル教育政策は、オーストラリアやニュージーランドとはかなり異なっている。

上級日本語教育の利点

 今回のプロジェクトでは、グローバル市民としての学生間の交流、コミュニティへの積極的な参加などに肯定的な結果が見られた。本プロジェクトに参加した教師の大半は、上級レベルの学生たちが多言語話者として新たな問題に対して批評的な見解を持ち、またそれらに適切に対処できる日本語の使い手となれるよう、様々な機会を提供しようとしていた。上級科目では、学生たちは多種多様なオーセンティック教材に触れる機会を与えられており、教師たちは教材として、日本関連のものだけでなく、世界で注目されている社会問題を選択している。こうしたトピックを選ぶと、教材や教育内容の定期的な更新が必要となるにも関わらず、本ネットワークに携わった教師たちは、学生が現代の日本社会への関わりを深められるよう勤勉に努力している。また、多くの日本語プログラムでは日本の大学生や現地の日本人コミュニティとの交流も行っており、日本語を母語とする人に限らず、様々な形の「日本語話者」との交流が可能となっている。それに加え、リモート学習に対する教師たちの肯定的な声も多く聞こえた。新型コロナウィルスによる教育環境の変化によってビデオ会議ツールが普及したため、日本を含む世界中の大学から、日本語の授業内で人を招ける機会が大幅に増えたという。このようなオンラインツールを使った世界各地の日本語話者との交流を用いた学習は、コロナ禍以前から積極的に進められていたことも明らかになった。

 本研究に参加してくれた日本語教師達は、多くの学生が、道具的動機ではなく、統合的動機により日本語を学習している傾向が強いことも示した。言い換えれば、学生は日本語を自身のキャリアや就職目的で学んでいるのではなく、その動機は純粋に日本の言語やその文化に対する関心から来るものだということである。教師たちは、学生たちは純粋に「日本語や日本のことが好き」なのだと繰り返しコメントした。これは、国際交流基金の調査結果とも一致している。その調査によると、大学生の日本語学習のきっかけとして「日本のポップカルチャー」が最も多く、それに続き「日本語への興味」、「日本への留学」、「将来の就職・仕事への願望」だという。また、キャリアアップの目的よりも「日本で生活したい」という目的で、日本政府が支援するJET(Japan Exchange and Teaching)を通じて英語教師になることに興味を示す学生がいることも、複数の教師が指摘した。これらから察するに、学生たちは、日本語を、日本語が主なコミュニケーション手段となるキャリアにつながるものとは考えていないのかもしれない。また、あるシンガポールの教師が言うには、日本語の堪能な卒業生でも、近年は、日系企業より、多国籍企業やコンサルタントの方に魅力を感じるようだ。

 今回の我々のインタビューから見られた共通点は、大多数の教師が、「日本語話者」である学生の日本語学習のファシリテーターとしてのスタンスを取っていることだった。多くの教師は、上級レベルの学生が習得している文字や文法、単語の量に関わらず、現実の社会問題や実践的な日本語会話に関する教育を提供できるよう努めており、それを通じて学生が自立的、積極的、かつ批判的思考のできる一人の「日本語話者」となれるよう力を注いでいる。プロジェクト対象の三ヵ国で上級日本語を履修している大学生は、授業の内容について、自ら考え、批判的思考を持つよう促されている。また、授業でのタスクやアセスメントなどを通じ、日本語で自分の意思を伝える作品を生み出すように指導されている。一つの例として、シンガポールのあるプログラムでは、学生たちは新聞を読み、それを批判的に考え、グループで話し合い、日本語で自らインタビューを行った上で、自分の報道を書き上げる。オーストラリアにも似たような例がある。学生たちは移民、周縁化、アイデンティティに関する話題を、日本語で日本の「内と外」の角度から考察する。オーストラリアのとある大学教員によると、学生達が選んだトピックには、「日本とオーストラリアにおける交通ハブ」、「キャッシュレス社会」、「日本のセックスレスカップル」などがあったそうだ。また、学生達を日本語の学習者から話者に変える試みとして、ニュージーランドのとある大学教員は、韓国、日本、フィリピンの日本語教師と共に「オンラインワールドカフェ」を開いた。参加した学生たちは、構造的でありながらリラックスしたワールドカフェの環境のもと、少人数グループで日本語を使ってそれぞれの話題について話し合ったそうだ。

 今回研究対象とした三ヵ国はいずれも、学生が卒業するまでに身につけられる能力として、「批判的思考」、「自立した学習者」、「積極的に社会に貢献できる人材」の3つを掲げている。これは驚くに値しない。批判的思考力は企業や雇い主などに高く評価されている。このため、多くの大学は「職業統合的学習(work integrated learning: WiL)」、という教育方針をとっている。しかし、近年では大学と政府が「職場で即戦力になる卒業生」の育成を優先する傾向がある。このことはオーストラリア教育・技術・雇用省(Department of Education, Skills and Employment)が最近下した、言語を「就職に有利な技術」として扱う、という決定からも見えてくる。このような功利主義は世界中で言語教育政策に大きく影響している。そういった政策は道具的動機付けを仮定している。これは教師や学生の多くが日本語学習に対して統合的動機を持っているという事実に反する。

 このプロジェクトに参加した大学の日本語教師達は、上級日本語学習者が、独立した、自主的で、批判的な思考のできる日本語の話者になり、彼ら自身の持つ言語的、文化的、または知的な才能やリソースを教室の内外で生かせるようになるよう、彼らの成長を導いてきた。だが、残念なことに、我々の地域では、教育機関も政府も、言語学習の動機づけとして、道具的動機付けを重視し、あるいはそれを前提としているように見える。

言語教育はどこに向かっている?

 大学や教師が、大学における言語教育を通じて何かを成し遂げたいのか ― この問題を探究するためにはさらなる研究が必要だ。現状の教育方針の行き先には何があるのだろうか?今の教育機関や政府のスタンスは、日本語教育の未来にどのような影響をもたらすだろうか?学生達を世界の現状をより深く理解し、かつ社会に影響をもたらせる人に育てるには、どういった言語的、あるいは社会・文化的能力が必要だろうか?

 本ネットワークのメンバーは、日本語を上級まで学習する学生たちのモチベーションをより一層理解する必要があると考えている。この点について、オーストラリア日本研究学会(Japanese Studies Association of Australia)では、さらなる研究プロジェクト― 題して「学生のモチベーション:なぜ大学で日本語を上級まで習うのか?」― を、国際交流基金 さくらミニ助成金2021の支援を受け、進めているところだ。

 

著者:キャロル・ヘイズ中根育子福井なぎさ永見昌紀荻野雅由尾辻恵美

Melbourne Asia Review would like to acknowledge the passing of Professor Hayes and the impact her work had on Japanese language teaching in Australia.

The original English version of this article was published on August 17, 2021.